「実現しない現実」
The Reunionest 開設記念特別小説
「実現しない現実」

松永謙太郎 様

○あなたは 2002 年 11 月 22 日に、 C 病棟 317 号室に入院されました。

○診断は以下のとおりです。
  うつ状態

○診療の方針、療養上の留意点は以下のとおりです。
  ・環境を変え、のんびり過ごして下さい。
  ・採血・胸部X線等 身体の一般的な検査をします。

○予想される入院期間は以下のとおりです。
  2ヶ月

(医療法人 T会 S病院 松永謙太郎の診療計画書より抜粋)

違和感は感じていた。自分のまわりに膜が形成されて外界との接点は間接的なものに思えた。その上入れ子構造になって自分すらもぼやけている。それは次第に異物感となって禍々しい形を取り、巨大化して僕を逼迫していった。

僕は薬を飲んだ。バファリンを飲んだんだ。頭が痛かったからじゃない。バファリン、風邪薬のコンタック、精神科で処方された向精神薬。死ねなかった。コンタックの赤と白の粒は、赤が時間差で溶けるのだなと便座に顔をうずめながら思った。ひどい気持。異物はますます巨大化して、家での生活が難しくなった。僕は入院した。

小学校高学年より不登校の兆しが見られ、中学校1年生の冬季休業を機に完全に不登校となる。psyに通院し薬物療法を受けていたが入院を希望。overdoseによる自殺企図の既往あり。リストカットなど自傷行為が見られる。言語に障害はなく、疎通性は保たれている。論理的思考に傾倒し、ひとりで不安を抱え込む傾向にあり、声掛けに始まる傾聴を中心としたケアを必要とする。入院加療には本人の強い希望でもあり意欲的。

(松永謙太郎(15歳 M 2002.11.22 入院)のアナムネを元に担当医が作成(抜粋))

煙草を吸いはじめたのは14のときで、好奇心からと、自棄っぱちになっていたからとだった。入院初日、すぐさまエコーを買い、以後ずっと吸い続けた。気のいい小父さんがライターをくれた(僕は持っていなかった)。

かの女も煙草をよく吸っていた。5ミリとか3ミリなどといった軽い煙草を日に何箱も吸い、紫煙をはくときは頬を膨らませふうっ、と吹くのが印象的だった。「きのうは4箱吸ったんよ。ふふ、さすがに吸いすぎだねぇ。ピース。チョコレート味」

違うよバニラフレーヴァーだよと、かれはさも得意げに言った。わたしよりは煙草に詳しいらしい。しかしそのことがかれの年齢と立場からいってちっとも誇りにならないことに無自覚なのは年相応といえた。腕を捲くって前腕の肥厚性瘢痕化した切創をかれに見せてあげた。わたしはこの傷に誇りを持っている。この傷はわたしを最も雄弁に表現する。たじろぎつつもかれは無言で手首の切創を見せた。かれに話しかけたのはわたしからだった。夜だった。「ねえ、話しない?」。

高校2年生の時に恋人と別れたのを機に境界例症状が顕在化したと訴える。家庭内不和もあり、寄る辺なさから身近な男性にほとんど無作為に愛着行動をとるようになる。幼少期の分離不安を抱え込んだまま成長し、依存的な人格が形成されたものと思われる。前腕をカッターナイフで傷つけるなど自傷行為が見られる。他の患者に対し操作的行動をとることがあり、トラブルのないよう監視しつつケアする。

(中西麻里子(18歳 F 2002.11.2 入院)のアナムネ、看護計画より抜粋)

僕は入眠傷害のためしばらく暗いロビーで煙草をふかす必要があった。いきなり話しかけられたが、僕は気にせずかの女とC棟の談話スペースに移動した。何を話したのだろう。かの女は頬笑んでも目は笑わない。それが強く印象に残っている。いや、それが気にかかった、といったほうが正確だ。「もうすぐ退院なの。松永君も短期の入院でしょ? 連絡取りたいから電話番号教えてくれない」とかの女はいった。さすがに警戒してメルアドはないの、と訊いたんだ。携帯もパソコンも持っていないんよ。そう……じゃあ退院するときに教えるね、とお茶を濁した。失敗だった。その後、かの女との連絡手段を自ら絶ってしまったことになって僕は後悔するからだ。

この日も夜だった。病室に来たかの女が抱きついてきた。戸惑いつつも抱き返したらついて来て、と言われたのでそうした。
「あんたわたしの財布盗ったでしょ」と、かの女は食堂でテレビを見ていた中年女性に詰め寄った。「なんでそういうこというのよう……違うって言ってるのに」

わたしは証人としてかれに立会してもらうことにした。この婆はおかしなことを言う。わたしの財布。どこに消えたのか分からないけど、この婆が持っているに違いない。わたしの財布。

かの女の財布。あまり興味深い事柄ではないし、いちいち自分の発言に同意を求めるようなかの女の目にちょっと苛立った。かの女の袖を引っ張って強引にC棟の談話スペースに行った。煙草を吸い、テレビでも見よ、と1階の談話室に誘った。

19°00' C317の松永謙太郎さんが外出時に購入した酒を一緒に飲んだ模様。松永さんの担当Ns.に注意を促す。
 20°11' 他の患者に突発的に親密な行動をとる症状がなお発現。本人に他の患者にとって迷惑であることを諭す。
 21°09' A112の山岸さんに財布を返せと迫る。物取られ妄想か、C317の松永さんを操作しているものかと思われる。

(中西麻里子(前掲)12月14日の看護記録より抜粋)

15歳という年齢には明らかに無理な背伸びをしてるのに自分では気づいていない。髪をかきあげるのが癖のようだった。わたしと同じく漆黒の髪は入浴が週3日と定められているのでやや脂っぽい。こっちの一挙一動に翻弄され、苦し紛れにに髪をかきあげるのがちょっとださい。かれに連れられ談話室(24時間開放の部屋だ。まあ、深夜はエアコンが集中管制になるので寒いけど)でわたしと松永君はテレビを見ていた。途中でおっさんが入って来て写経をはじめた。「あれおいしかったよ……また飲みたいなあ。さっき詰所に行ったら顔赤い、お前酒臭いぞって言われたんよ(写経をしている筆ペンが一瞬止まる。おっさんはこちらを盗み見ている)。でね、松永君と飲んだって看護師さんに言っちゃった。やっぱりまずかった?」

完全におちょくられている。このときはかの女のことが好きではなかった。このときは、というに、退院してからS病院を懐かしむようになって、かの女にまた会いたいと思ったときは好意を抱いていたからだ。当人と一緒にいるときは嫌いで、離れ離れになってから好きになる。なんだか屈折している。でもそれは思い出の美化でままあることだとやがて知った。

顧みるにあの時はどうかしてた。内因反応だと一応診断は下されていた。境界例に必要な診断基準に日数が足りなかったのだ。今は比較的うまく病気と付き合っている(とはいえS病院には3度入退院を繰り返したが)。わたしには経血を流すがごとく定期的にリストカットをする必要があるらしい。血を見ることで自分の苦しみがカタルシスされるのだ。傷だけがわたしの苦しみを代弁してくれる。
 12月に退院したのち、C棟の詰所に何度か電話をかけた。赤子が玩具を放り投げると母親がすぐ取ってきてくれるように、わたしの言葉でかれを支配できるのがうれしかった。だが、わたしはもう成人したし、一応の分別はある。自分の支配下にないひとでもわたしの望む行動をとることもあった。わたしは関係していることをいちいち確かめずに済む関係に目覚めた。ひとを操る快感、ひとを操れない不安感はやがて感じられなくなった。恋人ともうまくやってるし、バイトも楽しい。

その心理士は手紙を受け取った。中にもう一通、手紙があり「中西麻里子様」とあった。松永謙太郎からだった。添え状では中西に渡すよう依頼しており、松永本人の住所は書かれていなかった。

確かに守秘義務がある医療者は、患者の情報はどんなに親しい友達にでも絶対に教えられない。連絡先の分からない患者友達はこうするしかないのだ。仕方ないといえば仕方ないが、心理士は精神科という特殊な環境の馴れ合いから脱却できていない松永のことを少し心配した。不登校、引きこもり、そして科こそ違えど病院から病院へ移り現実的な人付き合いに不慣れな松永。無論、添えられた手紙に何が認められているのか分からないが。

あのころとおなじような冬、心理士は入院してきた中西麻里子に松永謙太郎からの手紙を渡した。これでもう自分には関係ないと言い聞かせて。

こんなことがあった。最後にS病院に入院したときに松永君に渡すように頼まれた、と心理士から手紙を受け取った。日付を見ると1年近く経っている。あれから、いつものようにC棟の詰所に電話をかけたら松永さんは退院されました、といわれてから2年後の夏に書かれている。よろしければ連絡ください、とあった。

手紙を出したのは2005年の7月。突然の退院を(敷地内で焼身自殺を図って救命センターに担ぎ込まれた。ひどい退院の仕方だが、手紙ではそれは伏せてある事情で、と書いた)詫びた。また、あのころは精神状態が悪く、かの女からの電話の対応が不味かったと思ったので重ねて詫びた。そんなものは口実に過ぎない。分かってはいたが、どうしてでも会いたかった。
 かの女を何度夢見たのだろう。その朝には茫然自失とも恍惚ともつかぬ気分で目覚め、夢の中であってもかの女に会えた事を喜んだ。だが、冷静になってみるとあの頃はかの女には操作されてばかりで、ちっとも恋なんてする対象ではなかった。

ひとは自分に都合の悪い記憶は忘れようとする。写真を選り好みするように都合のよい記憶のみを反芻し、思いは事実と乖離してゆく。思い出は美しいものしか残らない。分かっている。あのころは確かにかれに愛着を持っていた。その想いに応えてくれるか不安で、いつも確かめてばかりいた。かれからの手紙は受け取って1週間ほどしてから開封した。
 でも、あのころのわたしと今のわたしは違う。あのころのわたしは本物の病気で、かれには悪いことをしたと思っている。それなのにかれから手紙が来るなんて。わたしはできれば過去と訣別したかった。今はわたしは日々よりよいわたしになっている気がする。今のわたしは昔の幼稚なわたしを反面教師とすることはあっても、懐古趣味に耽ったりはしない。かれには申し訳ないが、昔のわたしを掘り返すのは気が引けた。あれから6年経った。わたしももう24、かれも21、2か。もう大人だ。思い出を大切にすることと感傷に耽るのは違う。ふたりとも前途洋々だ。振り返る余裕は、ない。

かの女にはすでに手紙が渡っていることを人伝てに聞いた。それは切ない思いを生じさせたと同時に、なぜかの女は連絡しなかったのだろうと考えあぐねさせた。愚かだった。昔のかの女はもういない。僕の思い出の中にのみ存在するかの女とは連絡の取りようが無い。思い出は現実だが、実現はしない。そう悟ったら無力感に襲われた。

大学の奴等と花見酒を飲みながら僕は空を見上げた。星が瞬いている。田舎の大学だから星もきれいなんだ。星々の美しさには都会に住んでいたころには気づかなかった。不意にかの女を思い出した。何年ぶりだろう、僕の意識にかの女が存在するのは。かの女もきっと会社の友達と酒を飲んで星を見ているのだろう。僕らの道は再び交わる可能性は限りなくゼロに近い。でも、この星空の下にかの女は、僕の知らない姿になったであろうかの女は現実として実在している。そう思うと少し、楽になった気がした。

――了

 …  © The Reunionest  … 
Skin By TABLE ENOCH